日々、何をするか?どう面白がるのか
社会人となってから「余暇」を意識するようになった。大学時代のように「研究」とか「サークルの仕事」という24時間追い続けられるタスクが無くなったからである。仕事が無い時間は何をしてもいいし、何をしなくてもいい。YouTubeを見てもいいし、寝ていてもいい...。ただ、ホントに「何をしたっていい」と面って行動すると後悔する。ゲームをやり続けていたら頭が痛くなって「しまったな」と思う。一方で、親しい人と会って一緒に過ごした後は「楽しかったな」と思う。何をしてもいい時間であるが、そこから得られる幸せ・穏やかさには違いがあるのである。
社会人は大学生までと比べ、非常に自由な環境だ。働く場所や仕事内容は自分で決められる。休日はどこで過ごし、誰に会いにいくかも好きなようにできるだろう。「日々がどれだけ面白いか」はその人の手によって決められるのだ。学校のように「2年後には必ず卒業する」とか決まりきった未来はない。部活のように「2年後の夏の大会が最終の舞台だ!」という具体的な目標が与えられることはない*1。日々の幸福度の決定権は自分にある*2。
具体的方法より先に「原則」を求めよ
「どうすれば幸せになれるか」ということを説く本の名著に「7つの習慣」がある。この本のスゴさは、自己啓発の具体的方法ではなく「原則」を説くことにある。人生を豊かにするための行動原則を「7つの習慣」として紹介する。例えば、「主体的であれ」「終わりを思い描くことからはじめよ」というようなメッセージだ。
- 作者:スティーブン・R・コヴィー
- 発売日: 2014/05/23
- メディア: Kindle版
「原則」は「具体的方法」より強力である。「原則」は汎用的であり、日常の一挙手一投足に影響する。一方、「朝は早く起きましょう」とか「たくさん本を読め」というのは「具体的方法」である。「具体的方法」が役立つタイミングは限定的だ。上記の例でいえば、起きる時間を決定する際や、読む本の量を決める際にしか役立たない。人生を面白くするために「恋人づくり」や「スポーツ」などの具体方法に走る前に、「自分が幸福を感じる原則」を規定しよう。「原則」はより良い意思決定へと導き、ヒントを与えてくれる。
本記事では、個人的な「人生を面白くする原則」について書く。23年生きてきて、自分の中の最善主を言語化し、行動指針とする。
面白い日々の原則
以下の5つが私の大切にしている原則である。
- 変化する
- 競争から降りる
- 原因ではなく目的で行動する
- ご機嫌でいる
- 諦める
「変化する」ことは人生の面白さそのもの
スゴ本の人が書いた本の中で、「本を読む目的は『読んで変わるため』」ということが書いてあった。「変わる」のは人生の目的そのものだなと思う。人は「変化」に感動するようにできているのだ。大学で色々な本を読み、「変わる」「進化する」ことは私の本質的な欲求となった。全く同じ作業を繰り返しの日々が続くとしたら、退屈だ。知識と経験が更新されない日常はいやだ。結果が予想できる映画は観ていてつまらないのと同じだ。今日、昨日の自分より1つ違う部分があること。新しい世界を見ていることこそが、日々に面白さを生み出す。日々生活する中で「今週、新しく知ったことはなんだろう」「できるようになったことは何だろう」と意識し、常に変わり続けたい。
ここでいう「変化」とは「進化」「成長」「学び」「発見」と広義に多くの意味を含んでいる。どれも人が生きていくうえで感じる本質的な喜びではないだろうか。それらは「変化」を追い求める過程で、得られるものだと信じている。
「競争から降りて」平穏を得る
競争とは「結果」と「勝ち負け」にこだわることである。「負け」れば意味はなく、やってきたことはムダだとする。こういう精神は苦しい。「勝ち負け」はコントールできないからだ。競争にこだわり続ければ、死ぬまで穏やかになれない。常に他人と比較しながら、自分を評価しなければならない。幸福のパイはいつまでたっても増えないのだ。高坂勝氏の著書では、「競争から降りる」ことをコンセプトした生き方が薦められている。現代の仕組みでは、誰かと同じパイを争い続けていては、皆が幸せを得ることができない。誰かの目線を気にするのを辞めて、自分独自のコンセプトを作り上げ、大切にしていく生き方を提唱する。
- 作者:髙坂 勝
- 発売日: 2014/01/09
- メディア: 文庫
私独自のコンセプトといえるものはまだないが、大切にしたいもはある。それは「プロセス(過程)」である。何か結果がでるまでの、一連の取り組みこそに神経を注ぐ。「プロセス」は自分でコントロールできるからだ。自分で制御できるコトにのみ意識を傾けることで、「競争的な価値観」から距離を置くことができる。むろん、ビジネスやスポーツ、芸能など何でもすべては「競争」であるのだが、それらの結果は「無視」する。競争的な結果が出ても「ふーん」くらいで済ませるのだ。
「原因ではなく目的で行動する」ことで自由になる
200万部を超えた大ベストセラーの「嫌われる勇気」。この本では読者に「原因論で生きるのか、目的論で生きるのか」を問うてくる。「原因論」とは、自分の行動は環境や過去の出来事によって決定づけられるとする、という考え方である。「自分が引きこもりなのは、親が自分を認めてくれないからだ」とか「自分の日々がつまらないのは、三流大学に通っているからだ」というのは原因論的説明だ。原因論では過去の出来事によって今ここの在り方が決定されてしまう。豊かな人生を創るのに対して、とても不自由だと思う。
対して「目的論」では、「今ここの状況は、あなたが望んでいるからだ。」と問うてくる。日々が面白くないのも、引きこもりなのも、自分がそう望んでいるからだと問く。いろいろな出来事の原因を自分に求められるので、目的論は厳しい。しかし、同時に自由にもなれる*3。目的は取り換え可能だ。過去を変えることはできないが、今の自分が持つ「目的」は自由に設定できるだろう。自分が望むことを目的と設定し、それに従って行動する。こうするだけで、環境や社会の期待に縛られずに済む。日々のあらゆる行動は自分によって規定し、自分によって意味づけを施すべきだ。
「ご機嫌」だから幸せになる
「幸福とは何か」と追い求めると、「お金があればよいのか?」「豊かな人間関係があればいいのか」という「何を所有しているか」ということを考えてしまわないだろうか。それに対して、アランは「外で身体を動かそう。会う人に笑いかけよう。ご機嫌でいよう。そうすれば、幸せになっている」と説く。これはかなりざっくりした解釈となるが、要は「幸せそうな行動をとると幸せになる」ということを言っている。
- 作者:アラン,バラエティ・アートワークス
- 発売日: 2013/06/28
- メディア: Kindle版
私は「いつも怒っている人」が苦手だ。怒っている、不機嫌な人と接するとたちまちエネルギーが奪われてしまう。誰かを憎まなくたって生きていける。むしろ、穏やかに、常にご機嫌でいることを心がけたほうが、日々は面白い。人生は短い。自分に合わない人に意識を傾ける時間を、もっと好きなコト、大切な人との交遊に時間を当てるべきだろう。
「諦める」ことで穏やかになる
現代社会は「こうあるべきだ!」という表現が多すぎる。広告、メディア、会社など、私たちを取り巻く多くの媒体が「成長しなさい」とか「1位になれ」と言ってくる。しゃらくさい。ここで精神を守ってくるれるのが「諦める」という行為だと考える。世界陸上メダリストの為末大氏は「できないことはできない。一つの手段に固執するな。目的に意識を集中しよう」ということを説く。何かに固執するのは、その人を豊かにしない。今やっている勉強や仕事も多くはそれ自体が目的ではないはずだ。あくまで手段であろう。「不老不死の薬」という理想に固執し続け、銀を飲み死んでしまったどこかの王様のようになってはいけない。時には諦めて、自分にできる範囲のことを粛々とやっていくのが、日々を面白くするコツだ。
今後も人生の原則は更新したい
ここにある5つの原則は23年生きてきた2020年7月現在の事項だ。多くは自分の経験・本によって書かれたものだ。今後の経験によって新しい学びを得ることもあろう。「変化する」原則にもれず、人生の原則も時に更新・修正させていく。