一日一つ、変わってく

上京して働く業務システム開発エンジニアのブログ

人生を面白くする原則5つ-示唆に富む本と共に-

日々、何をするか?どう面白がるのか

 社会人となってから「余暇」を意識するようになった。大学時代のように「研究」とか「サークルの仕事」という24時間追い続けられるタスクが無くなったからである。仕事が無い時間は何をしてもいいし、何をしなくてもいい。YouTubeを見てもいいし、寝ていてもいい...。ただ、ホントに「何をしたっていい」と面って行動すると後悔する。ゲームをやり続けていたら頭が痛くなって「しまったな」と思う。一方で、親しい人と会って一緒に過ごした後は「楽しかったな」と思う。何をしてもいい時間であるが、そこから得られる幸せ・穏やかさには違いがあるのである。

 社会人は大学生までと比べ、非常に自由な環境だ。働く場所や仕事内容は自分で決められる。休日はどこで過ごし、誰に会いにいくかも好きなようにできるだろう。「日々がどれだけ面白いか」はその人の手によって決められるのだ。学校のように「2年後には必ず卒業する」とか決まりきった未来はない。部活のように「2年後の夏の大会が最終の舞台だ!」という具体的な目標が与えられることはない*1。日々の幸福度の決定権は自分にある*2

具体的方法より先に「原則」を求めよ

 「どうすれば幸せになれるか」ということを説く本の名著に「7つの習慣」がある。この本のスゴさは、自己啓発の具体的方法ではなく「原則」を説くことにある。人生を豊かにするための行動原則を「7つの習慣」として紹介する。例えば、「主体的であれ」「終わりを思い描くことからはじめよ」というようなメッセージだ。

 「原則」は「具体的方法」より強力である。「原則」は汎用的であり、日常の一挙手一投足に影響する。一方、「朝は早く起きましょう」とか「たくさん本を読め」というのは「具体的方法」である。「具体的方法」が役立つタイミングは限定的だ。上記の例でいえば、起きる時間を決定する際や、読む本の量を決める際にしか役立たない。人生を面白くするために「恋人づくり」や「スポーツ」などの具体方法に走る前に、「自分が幸福を感じる原則」を規定しよう。「原則」はより良い意思決定へと導き、ヒントを与えてくれる。

 本記事では、個人的な「人生を面白くする原則」について書く。23年生きてきて、自分の中の最善主を言語化し、行動指針とする。

面白い日々の原則

 以下の5つが私の大切にしている原則である。

  1. 変化する
  2. 競争から降りる
  3. 原因ではなく目的で行動する
  4. ご機嫌でいる
  5. 諦める

「変化する」ことは人生の面白さそのもの

 スゴ本の人が書いた本の中で、「本を読む目的は『読んで変わるため』」ということが書いてあった。「変わる」のは人生の目的そのものだなと思う。人は「変化」に感動するようにできているのだ。大学で色々な本を読み、「変わる」「進化する」ことは私の本質的な欲求となった。全く同じ作業を繰り返しの日々が続くとしたら、退屈だ。知識と経験が更新されない日常はいやだ。結果が予想できる映画は観ていてつまらないのと同じだ。今日、昨日の自分より1つ違う部分があること。新しい世界を見ていることこそが、日々に面白さを生み出す。日々生活する中で「今週、新しく知ったことはなんだろう」「できるようになったことは何だろう」と意識し、常に変わり続けたい。

 ここでいう「変化」とは「進化」「成長」「学び」「発見」と広義に多くの意味を含んでいる。どれも人が生きていくうえで感じる本質的な喜びではないだろうか。それらは「変化」を追い求める過程で、得られるものだと信じている。

「競争から降りて」平穏を得る

 競争とは「結果」と「勝ち負け」にこだわることである。「負け」れば意味はなく、やってきたことはムダだとする。こういう精神は苦しい。「勝ち負け」はコントールできないからだ。競争にこだわり続ければ、死ぬまで穏やかになれない。常に他人と比較しながら、自分を評価しなければならない。幸福のパイはいつまでたっても増えないのだ。高坂勝氏の著書では、「競争から降りる」ことをコンセプトした生き方が薦められている。現代の仕組みでは、誰かと同じパイを争い続けていては、皆が幸せを得ることができない。誰かの目線を気にするのを辞めて、自分独自のコンセプトを作り上げ、大切にしていく生き方を提唱する。

 私独自のコンセプトといえるものはまだないが、大切にしたいもはある。それは「プロセス(過程)」である。何か結果がでるまでの、一連の取り組みこそに神経を注ぐ。「プロセス」は自分でコントロールできるからだ。自分で制御できるコトにのみ意識を傾けることで、「競争的な価値観」から距離を置くことができる。むろん、ビジネスやスポーツ、芸能など何でもすべては「競争」であるのだが、それらの結果は「無視」する。競争的な結果が出ても「ふーん」くらいで済ませるのだ。

「原因ではなく目的で行動する」ことで自由になる

 200万部を超えた大ベストセラーの「嫌われる勇気」。この本では読者に「原因論で生きるのか、目的論で生きるのか」を問うてくる。「原因論」とは、自分の行動は環境や過去の出来事によって決定づけられるとする、という考え方である。「自分が引きこもりなのは、親が自分を認めてくれないからだ」とか「自分の日々がつまらないのは、三流大学に通っているからだ」というのは原因論的説明だ。原因論では過去の出来事によって今ここの在り方が決定されてしまう。豊かな人生を創るのに対して、とても不自由だと思う。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 対して「目的論」では、「今ここの状況は、あなたが望んでいるからだ。」と問うてくる。日々が面白くないのも、引きこもりなのも、自分がそう望んでいるからだと問く。いろいろな出来事の原因を自分に求められるので、目的論は厳しい。しかし、同時に自由にもなれる*3。目的は取り換え可能だ。過去を変えることはできないが、今の自分が持つ「目的」は自由に設定できるだろう。自分が望むことを目的と設定し、それに従って行動する。こうするだけで、環境や社会の期待に縛られずに済む。日々のあらゆる行動は自分によって規定し、自分によって意味づけを施すべきだ。

「ご機嫌」だから幸せになる

 「幸福とは何か」と追い求めると、「お金があればよいのか?」「豊かな人間関係があればいいのか」という「何を所有しているか」ということを考えてしまわないだろうか。それに対して、アランは「外で身体を動かそう。会う人に笑いかけよう。ご機嫌でいよう。そうすれば、幸せになっている」と説く。これはかなりざっくりした解釈となるが、要は「幸せそうな行動をとると幸せになる」ということを言っている。

 私は「いつも怒っている人」が苦手だ。怒っている、不機嫌な人と接するとたちまちエネルギーが奪われてしまう。誰かを憎まなくたって生きていける。むしろ、穏やかに、常にご機嫌でいることを心がけたほうが、日々は面白い。人生は短い。自分に合わない人に意識を傾ける時間を、もっと好きなコト、大切な人との交遊に時間を当てるべきだろう。

「諦める」ことで穏やかになる

 現代社会は「こうあるべきだ!」という表現が多すぎる。広告、メディア、会社など、私たちを取り巻く多くの媒体が「成長しなさい」とか「1位になれ」と言ってくる。しゃらくさい。ここで精神を守ってくるれるのが「諦める」という行為だと考える。世界陸上メダリストの為末大氏は「できないことはできない。一つの手段に固執するな。目的に意識を集中しよう」ということを説く。何かに固執するのは、その人を豊かにしない。今やっている勉強や仕事も多くはそれ自体が目的ではないはずだ。あくまで手段であろう。「不老不死の薬」という理想に固執し続け、銀を飲み死んでしまったどこかの王様のようになってはいけない。時には諦めて、自分にできる範囲のことを粛々とやっていくのが、日々を面白くするコツだ。

今後も人生の原則は更新したい

 ここにある5つの原則は23年生きてきた2020年7月現在の事項だ。多くは自分の経験・本によって書かれたものだ。今後の経験によって新しい学びを得ることもあろう。「変化する」原則にもれず、人生の原則も時に更新・修正させていく。

*1:仕事の内容、職場によっては強豪校の部活のような場もあるかもしれないが。ただ、「大人の集団」であるならば当人が何を為すかは、当人によって決めるべきことのはずだ

*2:「客観的に格差が拡大しているから、不幸な人々が増えている」という事象はここでは考慮しない。主観的に自分の幸福をデザインするにあたり、制御できないことは考えても意味がない

*3:目的論がいきすぎると、他責禁止、自分を追い詰めすぎる。時には、他責をして、人のせいにすることも大事だろう

【2019年度振り返り】自分の生活において変化したこと~早期退職転じて福と成す~

新しいことだらけの今年度が終わった

 2019年度は自分史上、最も変化の激しい年だった。精神がどん底まで落ちたこともあったが、新しいコトにもたくさん取り組んだ。積年の自分の目標も叶えた。まさに、自分の信条である「変化し続ける」を体現したような年だった *1 。その一年間、何を見て、どんな気持ちを味わったのか。次の年度では何をするのか、振り返る。ちゃんと経験を棚卸して、行く末を見定めないと知らないうちに時間を浪費しそうで怖い。

 この棚卸しエッセイは毎年度終わりに書いていくことにする。年度の目標記事と見比べながら、自分がどのように変化したかを追えるようにしたい。

2019年度に自分史に起こした・起きた変化 49つ

日々の暮らし

  1. 地元を離れ東京で暮らし始めた
  2. 自分が主となる引っ越しを初めて経験した
  3. 一人暮らしを始めた
  4. 生きるための家事を自分でやるようになった。家事のオペレーションを組んだ
    • 料理
    • 掃除
    • 洗濯
    • 買い出し
  5. 都内での引っ越しを経験した
  6. マイナンバーカードを作った
  7. 洗濯機の設置を初めて経験した
  8. 水栓の取り換えを初めて経験した
  9. 所得税社会保険料を納めるようになった(社会に庇護される側から、社会を支える側へ)
  10. 下水トラップの設置を経験した

私生活と趣味

  1. ペンダントシェードを部屋に導入した
  2. シーリングライトを部屋に導入した
  3. アロマディフューザーを部屋に導入した
  4. ルームフレグランスを部屋に導入した
  5. 包丁を研ぐようになった。研ぐことが習慣化した
  6. 簡易的な弁当作りをするようになった
  7. 筋トレが習慣化した
  8. 目の二重マッサージが習慣化した
  9. 自分史上一番ブログ記事を書いた年だった。10記事を書き投稿した
  10. プログラミングを本格的にし始めた(一生付き合っていこうと決めた)
  11. ずっと関わっていたボランティアを脱退した
  12. 応用情報技術者試験の勉強を開始
  13. 7年振りに彼女を作った(できた)
  14. ブクログに読んだ本の感想を書くことを習慣化した
  15. 肌に合う保湿クリームを見つけて使うようになった*2
  16. 頭皮ケアを椿油でするようになり、乾燥性のフケが減少した
  17. アイブローペンシルを使って眉毛をかくようになった(人と会うとき)
  18. 色付きのリップを使うようになった(人と会うとき)
  19. お気に入りのYouTuberができチェックするようになった
  20. 本を読んだ。99冊。※ブクログで2019年の4月~2020年の3月で「読み終わった」に登録した本・マンガ・雑誌をカウント
  21. 映画を見た。トイストーリー4、天気の子、海獣の子供、アス、など...
  22. 美容院さんと髪型の相談をするようになった。いろいろな髪形を試すようになった
  23. 収納の整理を行った。ニトリ無印良品の収納ボックスをいくつか購入して整理した
  24. 人生で初めて愛媛にいって観光した

仕事

  1. 正社員で企業で働くことを初めて経験した
  2. 人材系のベンチャー企業で働くことを初めて経験した
    • 中企業で働くことを経験した
    • 事業数の多いItベンチャー企業の内部構造をしった(サンプル1)
    • テレアポの虚しさと苦しさを知った
  3. 新卒で就職した会社を2か月半で辞めた。退職を初めて経験した。役員にめっちゃ怒られた
  4. 転職活動を初めて行った。早期退職、第二新卒で就職活動を行う厳しさを知った
  5. 経理系システムのIT企業で働き始めた
    • 小企業で働くことを経験した()
    • 売りきりのビジネスではなく中長期的な付き合いが前提のビジネスの良さを知った
  6. プログラマーとして働き始めた
    • プログラミングで飯を食い始めたという
  7. テクニカルキーボードを購入。こいつが無いのはもう考えられないぜ
  8. デュアルモニターアームをデスクに導入。こいつが無いのはもう考えられないぜ
  9. アームレストをデスクに導入
  10. コップを置くコースターをデスクに導入
  11. ちっちゃい加湿器をデスクに導入
  12. 入社半年後で社内MVPを2か月連続でいただいた
    1. 会社との相性が良ければ、一応この企業社会でも生きていくことができそうだ
  13. Markdownの表現力の高さを知った。なんでもMarkdownで書きたがるようになった
  14. 電話対応を行うようになった
  15. Wikiページの構築を始めた

環境が経験できることの天井を決める

 上記のカテゴリ「日々の暮らし」「私生活と趣味」「仕事」を合わせると、48つもの新しい概念・経験を行ったことになる*3。これは23年間の人生において、最多タイに違いない。これは、生活の環境が大きく変化したことが理由だろう。大きな環境の変化をざっとあげると、

  • 就職した
  • 東京に引っ越した
  • 退職したこと
  • 再就職したこと
  • 社会人となった。自分の金で生活をするようになった

 ということがあげられる。これら大きな環境の変化が、私に新しい景色を見せてくれた。特に、早期退職がターニングポイントだった。そこからいろいろなポジティブな経験が増えた。精神的に追い詰められた「逃げ」の意思決定だったが、そこから調子があがった。

【2020年度は】新卒年度で耕した土壌に種まきをする年に

 昨年度は生活環境が大きく変化したので、新しいことの経験の連続だった。それに戸惑いながらも、楽しんだ年だった。加えて、プログラミングのような相性の合う仕事や、パートナーに会うこともできた。19年度は人生を豊かにしていくための土壌を用意できた気がする。2020年度は、その新しく経験したことをさらに「深化」「進化」させていきたい。生業にし始めたプログラミングはもっと学び、エレガントで堅牢なシステムを作れるようになりたい。6年越しでやっとできた彼女とは精神的に頼りあい、色々な景色を一緒に見に行きたい。読書という趣味をさらに発展させ、読書会のようなラジオを作ってみたい...などなど。新しく経験し始めたことをもっと掘り下げていって、さらにいろいろな景色をみれたらいいなぁ。

*1:勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書) 梅原大吾

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

この本を読んでから、「変化し続けること」を信条にするようになった。この本でプロゲーマーの梅原氏は、勝つために大切なのは「変化し続けること」だという。研究されて「強いと分かっている戦法」を試すのではなく、まだ誰もやっていないことを繰り返す。もちろん一時的に弱くなることもあるけれど、一流の中から飛びぬけるためにはそれしかないのだ。このような考え方は、プロ棋士にも通ずるとこがあるよね。「定石」を超える手を見つけ、打つことで超一流になれる、というような

*2:

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ニベアからこれに乗り換えてから、肌が粉を吹くように乾燥することがなくなった

*3:もちろん、自分の頭で認知できていることしか書けない。実際には、他にも多くのことを経験している可能性もある

半年でKindleを2回なくした-その不幸は必然なんです-

2019年にkindleを2回もなくした

 夏と冬にkindleをなくした。もとより物忘れは多い性分だが、なくす間隔が早すぎてショックを受けている...*1。僕が欲しいタイプのkindleは1万4千円もする。そこそこの出費だ。かといって、買わずに無いまま生活することは考えられない。遠出やベッドに寝ころびながら行う読書には、kindleが一番だからだ。そのため、結局kindleを買うことになるだろう*2。ただ、さすがにもうkindleをなくしたくない。ここまで物をなくしたのには理由がある。どうやってなくさないようにするか、今まで考えてこなかったのだ。なくさないための努力を怠っていた。僕にとっては、物をなくすのが普通なのだ...。そういう気質だ。本稿では、これ以上Kindleを失くさないための戦略を考える。

なぜkindleは無くなるのか

 第一に、kindleは外に持ち出すものだからである。ipadやスピーカーなどの電子製品と違い、外に持ち出すことが多い。そのため、無くなるリスクを持つ。「部屋の中で見つからない」のではなく、外で紛失する。そうなれば再発見は困難。仮に再発見できても取り戻すのに時間がかかる。

 第二に、外出時に手で持っている時間が長い。 ハンカチやティッシュ、財布などと違い、kindleは手で持ち、目で見て使うものである。そのため、暇な時間があれば、カバンから外に取り出される時間が長い。したがって、それだけ紛失するリスクが高まるといってよい。例えばスマホなども「あれ?どこいったっけ?」と思うことは多いだろう。ただ、使用機会が多いので、忘れたことに早く気づける。電子書籍端末は財布や携帯ほど定期的な使用機会が約束されていない。使わないときは使わない。そのため、置忘れが発生しやすい。どこかに置忘れたとしても、気づいたときには忘れた場所からかなり離れている(もしくはどこに置いたか思い出せない)ということも多いに違いない。

  第三に、ポケットに入りきらないくらい大きく、置き忘れても気づかないぐらい小さい絶妙なサイズであることも理由の一つだ。kindle読書を一旦中断してどこかに置くと、そのまま置忘れやすい。スマホのようにポケットに入れられないので、どこかにポンと置いてしまう。例えば、kindleの使用を止めて別の作業を始める際(頼んでいた食事が来た等)に、無意識に机や、机下についている物置などに置いたりする(スマホであれば無意識にポケットに入れる)。食事を食べ終わった際には、kindleのことを忘れており、そのまま店に出たりする。その後、kindleを使用する場面になった瞬間で初めて、忘れたことを思い出すのだろう。今回の紛失もこのケースだと思われる。

kindleをなくさないための行動習慣

 kindleをなくさないためのマイルールについて考えていこう。kindleをなくさないようにする習慣を作りたい。

 まず初めに、kindleの部屋の置き場を決めることが大切だ。私の部屋に決まりきったkindle置き場は無かった。そのため、脳もkindleの置き場に対する認識が甘かったのだと思う。部屋で雑多なところにおいていたせいで、脳は「Kindleの置き場には注意せよ」という意識を保てなかった。だからこそ、旅行先でも無意識に目のつかないところに置いてしまったのだろう。したがって、部屋でのkindle置き場を決める。そして、脳に「Kindleは鍵や財布と同じように、置き場を決めなければならない重要な物」という意識を叩き込むのである。 

 では、肝心の置き場所はどうするか。置き場所はいつも充電をしている所のブックスタンドにする。新しくブックスタンドを買ってきてそこに立て掛ける。ブックスタンドのサイズは漫画が置けるくらいものにする。確か、100円ショップで売っていたはずだ。新しい設備を部屋に導入し、「これがkindleの置き場」ということを脳に叩き込む所存である。そこで、「kindleは何か専用の置き場が用意されるぐらいの物なんだ」ということを潜在意識に訴えかけるのである。

 ここまで意識的にKindleを失くさないための努力をして、なくしたら、仕方ないと諦められる。

セールでKindleが安くなってた

 結局kindleを購入した。ただ、年始セールが始まっていて安く手に入れることができた。kindlepaperwhite8gbを約1万円で。年始にはAmazon関連商品がセールされることを、覚えておこう。

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*1:

その幸運は偶然ではないんです!

その幸運は偶然ではないんです!

同義語は「その不幸は必然です」。これまで、紛失対策を施していない持ち物は、無くなることが多かった。母は心配して僕のゲームボーイアドバンスのカードリッジに、油性ペンで名前を書いたぐらいだ。友達に見られるのが恥ずかしかった。話は変わるが、このクランボルツの本は優れた自己啓発本なのでオススメ。僕のこの本のレビューはここ

*2:この文章を書いているときには、気持ちの整理がつかずまだ買っていないがモタモタしていたらAmazonのセールが始まってラッキーだった。

「キャリアに一生の傷」と言われ新卒2ヶ月で早期退職したワイ、半年後転職先でハッピーになる

 今年の6月に退職をしてから、はやくも半年がたった。人生にも仕事にも絶望していたことが懐かしい。今では、かなり回復している。それどころか、大学時代よりも精神状態は良好だ。仕事は楽しいし、未来をかなり明るく考えている自分がいる。転職でここまで変わるという事を、書き残しておく。

逃げるようにして退職して半年がたった。

 スーパー意識が高かったワイは、地方からGoodfind1等を使ってベンチャー企業中心に就活をした。その中で短期インターンした企業に入社した。息を巻いて入社したが、めっぽう合わなかった。入社2か月で適応障害っぽくなった(診断は受けていない)。感情をちょっとだけ切り出してみる。

入社一週間後に営業に配属。テレアポの毎日。売る商材にどうしても自信が持てない。お客さんの時間を電話で取るのが申し訳ない。目標を達成できない。会社に申し訳ない。会社の事業方針に共感できない。長期的にやっていくビジョンが見えない。社員が頻繁に入れ替わる。辛い。時間外の仕事が増えていく。時間外にロープレを強制される。社会に価値を生んでいると思えない。辛い。きつい。これが「働く」ということらしい...絶望。

 入社2週間でずっとまぁこんな感じだった。テレアポ本や営業本を読み漁ったりしたが、効果はなかった。というか、そうやって過剰に適応しようとしたためにダメージを受けたのかもしれない。なぜ皆が、この商材を売るために必死になれるのかが不思議でならなかった。それが営業というものだと思いこもうとしたが...。

 5月下旬にはめったに精神的に直接頼ったことのない、親に泣きながら電話をかけていた。心から苦しい時に助けを求める相手は、親しい友人ではなく、親なのだと知った。知らない自分が出てきたことに驚いた。親はもっと驚いていたようで、僕に退職を進めた。転職など一度もしたことがなく、大企業でずっと長く勤めてきた父は「そんな気持ちで働いている方が会社にとって迷惑だから、早くやめなさい」と言ってくれた。僕は会社を辞めることを決めた。一度は地元に戻ってニートをやるつもりだった。(が、退職して一か月後に運よく東京の企業から内定をもらうことができた。そのため、地元に帰ることはなかったが)6月の序盤に会社を辞めた。

早期退職者に世間は厳しいが受け入れてくれる会社もある

 会社を辞めると僕の心はかなり安定した。そのため、自分は適応障害だったのだろうと推測する。適応障害はうつと違い、直接的原因から距離を置くことで精神的にかなり楽になるからだ2。そこそこ動けるようにもなってきたので、就活をすることにした。ただ、第二新卒の市場はそこまで甘くなかった。 まず、第二新卒労働市場は新卒市場と比べてかなり狭い。Re就活などの記事も、基本的には離職率の高い募集が多かったりする。 ダムの管理現場とか、SESとか、超体育会系の通信営業などだ。そして、育てる気のない応募が多い。どちらかというとブルーワークな募集が多く、即戦力として現場に入れられるがキャリアアップ望めないような仕事が多かったように思う。

 就活の結果としては、だいたい1か月で2社から内定をいただくことができた。かなり、ラッキーだったかもしれない。僕の退職理由を話すと厳しい反応をする人事も少なくなかったからだ。内定をくれた2社は、面談で僕を枠にはめて評価するようなことはせず、対等に会話をしてくれた。よく考えた結果、エンジニアとして採用してくれた会社を選んだ。自分は営業に向いていないかもじれないと思ったこと、そしてエンジニアの文化やコミュニティに憧れがあった。  ただ、就活自体には苦労した。僕は好き嫌いがかなり激しいために、なかなかマイナビやRe就活等の就職サイト見つけることができなかった。結局面談や面接などをした企業はほとんどWantedly経由だ。面談中、早期離職のことを明かすと、冷ややかな反応をもらうこともあった3

個人的な価値観と個人的な辛さで辞めていいと思う

 会社を辞めたいときに伝える面談で、役員に言われた一言がなかなか僕の価値観を変えてくれたと思う。「君のキャリアには一生の傷が残る。」「君はホンッド学生気分だね。」。ドスの聞いた声だった(記憶がどんどん恐ろしい方向に改ざんされている気がする)。辞めたい理由をひたすらWhyで問われ、僕が論理的に回答しないでいたことに憤りを覚えたのだろう。辞めたい理由の本音は、とても言えなかった。怖かったし、言っても社員や役員の価値観を否定するだけだと分かっていたからだ。ザコ新卒の僕がスーパービジネスパーソン役員の前でそんなことをいえる勇気はなかった。僕の辞めたい理由は社内のフィードバックとなるものではない。仕事に関する「好き嫌い」の問題だったのだ。

 その役員は、定期的な面談で「いかに自分が修羅場のベンチャー企業で奮闘してきたか」を語っていた。仕事が大変できついのは当たり前なのだから、もっと頑張れよという励ましをする。だから、この程度の仕事もできずに辛くなる僕のことは非常に無能に見えたと思う。まぁ、入社してすぐやめる僕も悪いのだが...。

 退職面談でいろいろ言われたセリフは、言われた直後こそは気にしなかったが、退職後、僕の不安を煽るのにかなり役立ってくれた。この役員のセリフは反面教師として活用していく。同じ環境で同じ業務をしていても、泣き出すほどつらくなる人もいれば、そうでない人もいるのだ。皆と同じようにできないからといって、自分を無能だと思う必要はない。社会は適材適所、分業論によって成り立っているのだから。転職しただけで驚くほど人生の見通しが変わったので、そう思う。

辛くなった理由と逆張りで会社を選んだらハッピーになった

 以下のような理由で転職先を探した。全て前の会社で辛くなった理由と逆張りをしている。

  • 開発職でできれば入社したい
  • ベンチャー」とか「急成長」とか「成長」とかすぐに言わない。落ち着いている社風
  • 「サービスの良さ」に拘り、顧客と長期的な関係を 築くことを重要視。営業をするにしても売ることに自信を持てる商材を扱っている
  • テレアポが少なそう
  • 事業展開に統一感があって、経営者の得意分野で勝負している印象がある。何をするかが明確
  • そこまでレッドオーシャンな印象ではなく、ある程度参入障壁がある
  • あんまりキラキラ、ギラギラとしていない
  • 離職率が低い

 今の会社は、Wantedlyからメッセージをもらって、入社できた。働き始めて4か月が経とうとしているが、シンプルに人生は楽しいと思えている。作っているサービスも好きだ。地味で目立ないが、いぶし銀のような活躍をしている。必ずお客様の役に立っていると思う。採用してくれた会社に恩返しをしたい。

自分に合う職場や働き方がこの社会にはある

 一般的に、適応障害などで休職すると、復職は難しいらしい。結局、環境が変わらないと再発するからだという。会社や上司の価値観を変えるのは、平社員には相当難しい。そのため、別の合う職場を探すとか、配置転換をするとか、物理的なアプローチしかほとんど効かないらしい。僕自身、転職しただけで人生の見え方が変わった。僕の中身は変わっておらず、環境が変わっただけだ。会社側はそこまで、僕たちのことを考えて採用や配置をするわけではない。自分にとって居心地が良い場所は、自分でつかみとるのだ。


  1. 意識の高い大学生が使うベンチャー就活サイト。「つよいことば」がサイトのあちこちに書かれている

  2. 新版 マジメすぎて、苦しい人たち

    新版 マジメすぎて、苦しい人たち

    • 作者:松﨑 博光
    • 発売日: 2019/02/22
    • メディア: 単行本(ソフトカバー)
    自分を客観視するのにかなり役立った。会社の文化に合わないとか、上司の考え方に同意できないという悩みを持っている人はぜひ読むといい。根本的な解決策は、異動か転職しかないことが多いようだが。

  3. 転職活動で、以下のような経歴を持つ人への偏見を得た。「人材紹介企業で転職コンサルをしたのち、キャリアコンサルタント資格を獲得して、事業会社の人事をしている人」である。その経歴を満たす3人に面談をしたが、彼らと会話がうまくはまらなかった。彼らは、人を転職させるためのトークばかりを練習してきたせいなのか、すぐに人の退職理由を自分の知っているフレームで説明しようとする。僕も前職は人材系なので、その癖も分からくもないのだが。「あぁ、そのパターンね」と、目の前の人間の退職理由を解説するのはやめてほしい。あと、みんな「キャリアコンサルタント持ちなんでアドバイスしたくなってしまう」って言うのは面白かったです。

なぜベンチャーに入って失敗したか-打算的な良し悪しで職場を選ぶな-

僕は新卒入社した企業を2か月で退職することになった。
これは、ある種、一人の人間と企業との出会いとしては、ミスマッチ、意図せざる結果である。

もちろん、ほぼ全ては僕の思慮不足、自己理解の足りなさが招いた結果である。
入社先には迷惑をかけた。

では、そもそも自分は内定定受託したとき、どのような見通しをもっていたのか。

入社して初めて気づいたことはどのようなことだったのか。
なぜ、「入る前」は分からなかったのか。

その原因を掘り下げて、今後の反省の糧にでもしよう。

いつ頃内定を受託したのか

僕が、前職のA社の内定を受託はかなり早いタイミング。3月にもなる前だった。

そんな早くに就活を終えたしまったのは、
実際に働いてみないと、自分がどんな仕事をやりたいのかなんて分からないのではないか、と諦めていたからだ。
僕が就職活動ーインターンシップに参加したり、新卒の求人広告を眺めたりしている期間は1年以上。

A社の内定を受託する時点で、就活を始めてから1年以上の時間が経過していた。
その時感じていたのが「これ以上就活を続けても、働くことや自分の適性についての理解が深まる気がしない」ということ。

どれだけ、企業を選ぶ軸を考えても、自己分析なることをしてみても、これ以上入社先と自分のマッチング率を上げられないと思ってしまった。絶対的に入りたいと思える企業も存在しなかった。だから、A社の内定をもらったときは、「もうここでいいだろう」という思考だった。やっと就活が終わる。
人事との話や、会社の説明を見る限りでは、自分は会社に合うのではないだろうか、と思ってしまった。

今思えば、もう少し就活を続け、複数内定を得たうえで、選択しても良かったと思う。
その方が、ミスマッチは減らせるに違いない。結果として、A社の内定をいただいた時点で就活をすぐに止めてしまったので、他の会社と比較しなかった。そういうことを行っていれば、入社する前に、自分と会社との合わない部分、違和感を抽出できたのかもしれない。

ものすごく打算的に職場の良し悪しを考えていた

自分が何をやっているときに喜びを感じ、どんな時に悲しみを覚えるのか、そういった部分を考慮しないままに決めていた。もっと、「好き嫌い」で選んでよかったかと思う。

ほんとに、徹頭徹尾状況論の、職場の良し悪しの話しかしていない。こんな仕事が好き、こんな事業が好き、こんなビジネスが好き、という、自分の価値観を考えることなくした意思決定。

いま思えば、
「どんなビジネスをやっているか」「どんなやり方で拡大しているか」「そのビジネスを自分の手で広めたいと思えるか」という3点において

「好き」

といえるような会社を探しきるべきだったと思う..。

もともと、僕はどんな思いで入社を決めていたのか。

きちんと、人に説明するために文字に起こしていた理由が発掘できたので、
恥ずかしいが、その理由を批判的にみてみよう。そしてどうしたらよかったの考えてみる。

思慮不足な理由その①:理念の社会貢献性が高くて、それに共感したから

実際、入った会社は、理念でかっこいいこと言っても、全然、目の前のお客様のためにならないことをやっていたわけで。
理念共感で選ぶのって、実はかなりリスキー。理念ではなく、事業がどういう背景と目的によって作られたものなのか、そこに着目しないといけない。だから、理念とビジョン共感は、必ずその事業との関連性をセットで見たほうがいい。多くの会社は、やはり儲かるための事業展開にならざるを得ないと思う。

もちろん、会社側としては「いやいや、この事業で稼いだ金でやがて理念に向けて突き進むんですよ」といった説明の仕方をする。もちろん、そういう考え方もあると思う。

ただ、個人的には納得いかなかった。

会社説明会では、ある意味学生を洗脳するために、ビジョンや企業理念を語る人事は多いが
いくら雄弁な人事がいても、それが現場に浸透しているかどうかは別問題なので注意が必要だ。

じゃあ、どういう観点で企業をみればいいのか

中途社員の入社理由に理念共感があるか
結局、前職場、中途採用では、理念とのマッチング等一切みていなかったようだ。たくさんの中途社員の方と話をしたが、
皆、「~な問題解決をしたい」とか「会社のビジョンに惹かれた」等ではなく、会社の成長フェーズや環境を理由に入ってきいる人ばかり。採用側も、価値観のすり合わせ等は大して重要視してないだろう。
ホントに自分が理念共感を理由の一つとして入社するなら、中途社員に入社理由を聞いたほうがいい。そこで、「給料がいい」とか「裁量度が高くて、成長できそう」なんてばかり理由が返ってきたら、たぶん、そんなに理念とか重要視していない会社。もしくは口だけいってて体現できてない会社。

ミッションドリブンな理由で入社を決意すると、後悔しますよ。

思慮不足な理由その②:組織に多様性がある

組織の多様性があるのって、まぁ、そりゃ凝り固まっているよりはいいだろうけど、なんか、意思決定としてあげる理由では絶対にないよね。今時、新興企業であれば、色んな会社から集まってくるのが当たり前で。定着率が90%越えの老舗企業にでも入らない限り、ベンチャー企業の人材なんてどこも多様だよね。
「うちの社員は優秀です」って、言わないベンチャー企業はないよね。

それなのに、内定受諾の瞬間には「多様性のない組織はリスク」「内定先は名だたる企業からすごい人たちが集まっているすごい企業なんだ」みたいな、分かった口効いていた自分ほんま救えない。
ある組織が強いかどうかを測るうえで、バックグラウンドに多様性があるとか、有名企業から来ているとかは、本当にたくさんある評価軸の中での、たった一つのものでしかないはず。

まぁ、こういう打算的な理由をあげて入社を考えていた時点で、
本当に別に、入りたい!って強く思えるわけではなかった企業だったんだな、ということを今更理解している。

じゃあ、どういう観点で企業をみればいいのか

中途社員でも、長く勤めたいと思っているかどうか。 
中途社員に、「今の時代って、割と転職が当たり前みたいになってきてはいますが、~さんとしては、だいたい何年ぐらいは勤めたい!みたいなイメージってありますか」って聞くべきだと思う。

ここで、「いや~、転職はよっぽどのことがなければしないかなぁ。今のところはずっと勤めたいと思っているよ。」みたいな返答が返ってきたら、強い組織だ。

ベンチャー企業において、強い組織かどうかを測る軸は色々あると思うけど、一番シンプルなのは「社員が辞めずに、ずっと残り続ける会社」だろう。
人が頻繁に離れていく会社は、結局社員への知識とスキルが蓄積しないので、そんなに高いパフォーマンスが発揮できない。結果として、兵隊の量や、兵隊の稼働時間の長さで勝負することになてしまう。

したがって、中途社員であっても、会社に愛着を持っていてそんなに簡単に人が辞めない会社。
人は外からはたくさん入ってくるのに、そんなに簡単に抜けていったりしない会社。
openworkとかエン転評判に、そんなに恨みの募ったようなコメントが少ないといいね。

思慮不足な理由その③:人気の会社じゃなかったから

...僕の入った企業は、まぁ、まだそこまで名が通っているわけではない成長中の新興企業。リクルートグループやDeNAなどと比べれば、知名度はかなり劣る。
なんか、みんなが入りたがるような、人気企業ではなくて、だれもいかないところに行きたかった。ただ、それだけ。なんとなく裁量権あるところに行きたいけど、
皆が行きたがるようなところには行きたくないっていう、天邪鬼な理由。

ただ、今思えば..。「この会社の知名度・人気度」をベースに意思決定を行ったところで、仕事と自分の幸福度が相関するってのはそんなにないはずで。
世間で数少ない人気企業に入ったとき、「自分の存在意義意を、会社のネームバリューに見出しているつまらない人」が多くなるのは避けたいからって、選ぶのはありかもしれないけど。
でもそれって結局、つまらない人たちを避けるためっていう、割と働く環境の幸福度を考える上では、わりと消極的な、十分条件でしかなさそう。

じゃあ、どういう観点で企業をみればいいのか

HPや会社説明の資料を見ただけで、何をやっているか、何がやりたいのかよく分かる会社。変なカタカナとかが少なくて、落ち着いて会社の事業や理念を説明しているところはアタリ。
 
人気の企業でなくても、
人気の企業にみせかけたり、ブランディングにお金をかけて、人を集めている会社は多い。

ただ、それらの行為は本質的ではない。良い企業というのは、よく考えられた独創的な仕組み=ビジネスによって、価値を上げていることだ。その会社が手掛けているビジネスに本当に価値があり、「その事業は面白いわ!」って言ってもらえるような事業の場合、人は紹介や反響でも集まってくるものだ(もちろん、採用戦略は必要だけど、過度な演出やブランディングは必要ないということ)。

事業における差別化がうまくいってない、そんなに新しいことや革新的なことができていない会社であるほど、
会社のHPだったり説明会で派手目なことをやる。ぼやかす。雰囲気でなんかすごそうと思わせる。

結局、そういう所に惹かれて入ってくる人材は、そういうもん、ってことだからねぇ。

思慮不足な理由その④:新しく事業を創ろうとしている

もちろん、新規事業が立ち上がるような環境は、ビジネスを学ぶには良い所のだろう。一切の新規事業が立ち上がらない所と比べれば、任せられる経験や、責任も大きくなる。
ただ、わずかな間だが働いて、「新規事業」という存在、概念自体に全く意味はないとわかった。大切なのはその内実だ。

新しく事業がたちあがったって、その事業コンセプトに共感できないとか、社会にとって役に立つのかイメージできないような可能性もある。とりあえず、会社としては一層の成長と拡大を志向しているから、何か事業を立ち上げる、ていうこともある。今追い風の産業にとりあえず入っとくぞ!みたいな。

新規事業がたくさんある≒若手にチャンスがある と、まぁ捉えられなくもないけど...
その中身を見て、自分が手掛けたい仕組みになっているのか、考えたほうがいい。

新規事業やりたいとか、新規事業がある企業で働きたいっていうのは「結婚したい」っていうようなもの。
いくら「結婚したい」と言っても、誰が相手でもいい、ってわけじゃないでしょ。結局相手の中身を見る。

結局、その企業のビジネスのロジックに納得できなければ、いくら新規事業が立ち上がろうと
面白いって思えないんだよ。

じゃあ、どういう観点からみればいいのか

今ある、会社の1つ1つのビジネスモデルをよく見て理解できるまで調べること。その仕組みや顧客への価値提供の在り方にいいなって共感できるかどうか。

結局のところ、会社の儲け方、事業の在り方というのは、社長の価値観に等しい。それに強く共感できなければ、
いくら新規事業が立ち上がったって面白くもない。

入社前に、現場の営業マンに質問してみよう。「~の事業は、どういう仕組みでお金を稼いでいるのですか」「~の事業が顧客に提供する価値は何ですか」「A社の事業が他の会社に勝っている背景や理由はありますか(シェアで負けててもこう聞くようにする)」

このあたりの質問を数人にすれば、どんな感じで儲けている事業なのかはなんとなく分かる。
それで、違和感があればやっぱり入社はやめた方がいい。

特に違和感がなければ価値観としてフィットしているのだと思う。

思慮不足な理由その⑤:社員数が少なく、まだ新卒採用を始めて数年しか経っていない。

 新卒採用を始めて数年であり、社員数が少ない企業であれば、自分の及ぼす影響が大きい方が面白いだろう。
ただ、結果としてエンドユーザーに支持されるものを作れているか、それが一番重要なポイントなのである。結果として、自分が広げていく価値のあるサービスの拡充に携わっていると思えなければ、全然エネルギーの沸いてこない人間だった、僕は。
価値のないビジネスに裁量権もって関わったって、そういうビジネスを拡大していく手法しか身につかないのではないか。

じゃあ、どういう観点から企業をみればいいのか

 もちろん、若い企業であれば、その方がいい。ただ、大事なのは、企業として掲げている事業コンセプトに、自分が深く共感できるかどうか。そのために、自分が若いうちから裁量権をもって関われるのなら、本当に楽しいだろうが...。その会社を広げていく一手を担いたいと思えれば、いいと思うよ。

思慮不足な理由その⑥:今後の成長が見込まれるか

 会社が成長しているのは、そりゃ選ぶ上での当然の前提。GDPは下がっているけど、売上高を右肩上がりで伸ばしている企業はたくさんある。売上高が伸びているっていうのは、入社を考えるうえでの必要条件でしかなく、前提のようなもの。
うちはずっと売上が伸びてて~と言われても、そんなに強く惹かれなくたっていい。

じゃあ、どういう観点から企業をみればいいのか

 その会社が成長しているとはどういうことなのか、その中身をよく考えた方がいい。実は、その会社がすごい、ということではなく、業界に参入している全員登り調子、早期参入したもん勝ち、っていう場合もある。その中で、ただ営業マンの数を増やしているだけなのかもしれない。実は、成長と社会貢献が直結しておらず、ガンガン開拓先を広げているだけなのかもしれない。..とかね。

じゃあ、決定的に大事な理由って何??どんな観点で企業を選べば、いいのか??

 <個人的な、会社に選び「好き嫌い」の条件>
 大事なのは「お客様・業界・社会の役に立っているか」ということが、今の自分の頭でもよく分かること。そして、その事業コンセプトにいいなって思える、面白いなって感じること。
新しく仕組みを作ろうと奮闘していること。競争が激しくても、差別化による戦略を取っていく企業。社員の時間投入量や行動量によって、戦いに勝つ!!みたいな意識ではなくて、別の価値を創ることに意識を傾けることのできること。会社の成長、事業の成長ということばかりでなく、その事業を広げる社会的な意義や意味がいきわたっている組織。社員が会社とその事業を愛している人が集まっている。会社を踏み台ではなく、自分たちがやっている事業が人のためになると、信じている組織。やっていることは、決して古めかしいことではない。変化を楽しむ姿勢がある。自分たちにとっての利益・数字を追うのではなく、お客様にとってのメリットを追及する姿勢があること。


そんな企業に入りたいですね。って、働きながら思った。

本人の市場価値ベースで職場・企業の「良し悪し」を語る「転職の思考法」

このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法


前読んだ本に、「転職の思考法」がある。面白かったけど、この本は、「どんな仕事をしていると自分はハッピーなのか」分からない人のために、「厳しい資本主義社会を生き抜くためのキャリアアップ転職論」を説く本なんだな、と思った。

自分の仕事の価値観云々ではなく、社会から判断される価値「ビジネスパーソンとしての市場価値」を重要視し、それを向上させるための転職のロジックを語る。 もちろん大切な観点。ただ、僕は、わりと、「市場価値」とか「ビジネスパーソンとしての成長」みたいな所で、企業を選び、そして失敗した側の人間である。
※もちろん、この本においては、やりたいことがあればそれをやったらいいという記述がある。ただ、大抵の人間はそれが分からないから、自分自身のが「どんな状態でいることが好きか」考えて転職せよ、という。


伸び悩んでいる業界には行くな、伸びている業界に行け。見せかけではなく、本当に新しいことをやっている企業を発見して、そこに行け、という。日本のビジネスパーソンたちがしっかりと実力を身に着けることがれば、働く上での自由度があがり、いつでも転職できる、という状態になる。そんな人が増えていくほど、この社会はより健全になるだろう、という趣旨には賛同する。

ただ、もっと、市場価値で測れない基準で、職場を選ぶこともあるね、という、別の考え方があること自体は、今回の退職を通じて学んだ。
技術資産や人的資産がそんなに蓄積しなくても、業界の生産性が少なくても、ハッピーに暮らしている人はいるわけで。逆に、自分の市場価値がしっかりと高まるような経験が積める職場であっても、自分の信条と、会社がやっていることが合わない、ということもある。

やっぱり、ハッピーに働くのって、本や仕事で読んだことをそのまま生かせるなんてことは、ほとんどなくて

*どんなことをしている時にハッピーだったのか。それはなぜか
*どんなことをしているときに不幸だったのか。それはなぜか

っていうことの、具体と抽象的な思考を繰り返しまくって、それで分かった自分の価値観と、できる限りフィットするような会社を選ぶことでしか
自分の幸せなキャリアは切り開けないのだろうなぁ。

働くって難しいね。30歳くらいまでにはハッピーになれたらね。



スローキャリア

スローキャリア

こっちのほうが好きかな、転職論としては。会社に依存しないで生きていくんだよ、という前提では近い部分もあるけど

優秀な人が多い職場だけど退職した理由

先月、A社を退職した。

社員さんは、めっちゃ良い方ばかりだったのだが、会社の方針がことごとく合わない。

一人一人は優秀で、親切で行動力のある人が多い。
ただ、そう人たちが集まってやっている事業が、組織が、社会にとって良いものと思えなかった。


最初は僕がビジネスに向いていないのかな、と思った。仕事って、こんなつらいものなのか、修羅道のような世界なのかぁ、と悲しみに打ちひしがれていた。社会経験が少ない部分、自分が弱っちい人間なのか、夢ばかりみて現実がわからないヤツなのか、判別がつかなかった。会社の経験が一つしかないわけだから。

ただ、いろいろ尊敬している先輩方や友人に話したところ、「お前がビジネスに向いていないというか、その会社に合ってないんだと思うよ。」という言葉をたくさんいただいた。
「うーん、うちの会社ではおばけやの言うようなことはないかなぁ」って皆が(僕が相談した人は)言う。

どうやら、同じビジネスの世界でも、会社によって、顧客への向き合い方、社員への向き合い方は変わるようだ。やっぱり、僕の信条に、今勤めている企業は合わないのだ、と判断せざるを得なかった。

仕事をしながら、お客様と、その業界に迷惑をかけている感覚がとても強かった。
自分がこの会社の成長に貢献するほど、関わるお客様に何らかの摩擦を生むのであれば、これ以上頑張れない...。
そういう気持ちが僕の心を埋め尽くした。

僕は、基本的には組織の価値観や命令には従って動くマジメ君である。学級委員とかを先生に根回しされてやるタイプ。人よりも多く行動し、時間をかけて動いた。
しかし、会社の価値観で行動するうちに、自分の心が悲鳴をあげていた。社会に一ミリでも良い変化を起こしていると信じられなかった。

端的にいうと会社のやっている事業は競争が激しくて、忙しすぎた。だから、丁寧に顧客に向き合っていられなかった。
売り切り型のビジネスが多かった。

会社としても、かなりスピードを上げて、売り上げを上ないと、たちまち他社にシェアを取られてしまう。潰れてしまう。
だから、仮にちょっとは顧客に迷惑がかかっても、急ぎ足で受注数を稼がないといけない。
会社が存続していくために、合理性のある判断ともいえる。

マーケティング上は、ちょっとは出遅れたって、
顧客に中長期的に支持されるようなサービスにして、ゆるやかに支持を得ていくほうがいいのだろう。

ただ、一度猛スピードで走りだした列車が簡単には止まれないように
事業や会社も、そのやり方を変えることは簡単ではない。一度急成長と急拡大を志向した会社だ。
社内ではいつも「ベンチャー」「ベンチャー」「ベンチャー」という言葉で沸き返っている。

実際に、この業界、短期的な志向で動いている企業が多くいる。
どこの企業もサービスも似たりよったりで、同じ種類の摩擦を生んでいるようだ。

お客様が喜んでいるか、怒っていないか、不満が無いかなんていちいち確認する暇はない。次の客を探して売上を立てたほうがいいに決まっている。
競争の激しい業界であるからこそ、そういう働き方になってしまう。

会社は、ある意味生き物だ。サイボウズの社長の言葉を借りれば「モンスター」である*1
当たり前だが、死ぬこと(倒産や事業撤退)をヨシとして見ている会社などない。少しでも自社のミームを広げるために、長く存続するために、会社としては社員全体を鼓舞する。

だから、いろいろなA社のロジックも、ものすごい筋の通ったものだし、業界の特性上、仕方なのないことだとわかっている。
論理的に、スキがあるわけではない。

だからこそ、合わないと感じるんだ。

どうしても、目先の売り上げよりも、お取引のあったお客様に対するケア、
顧客開発を行うときも、相手にフラストレーションを与えることが多い。わりと強引なやり方。

お客様や業界に一定の迷惑がかかることを前提としたビジネスなのだとすれば、自分の命を、そんな仕組みの存続と拡大に投資することに、なんの価値があるのだろう。

もちろん、みんな、それぞれどこかで折り合いをつけて働いているのだと思う。
売り上げが上がるのが面白い、たまには感謝されるのが面白い、会社をみんなで成長させていく感じが面白い、と。
そもそも、完ぺきなビジネスなどない。良いものを作るという姿勢と、たくさん売るという姿勢は基本的には相反する。


ただ、1つの事実は、その会社のやり方どうりに動くとで、僕の幸福度はみるみる地に落ちていったということだ。
事業を拡充させていったときに、ハッピーになる社員や顧客が増えるどころかむしろ減る。
そんなビジネスをやっている意味は、会社の成長のため以外にあるのかな、と思ってしまう。
※もちろん、会社からお金をいただいている、ということを忘れてはならないが。給与をいただいている以上、会社のため、という理由だけでも、頑張りきるのが本筋なのかもしれない。

今手掛けている事業は、そんな簡単に途中離脱できるもんじゃない。僕みたいな人間が、一人勝手に離脱するのは勝手なのかもしれないが、
一度始めたレースを降りることは、会社にとって、死を意味することになる。

だから、会社として、事業としては一生懸命走りながら、お客様や社員との間にキズや摩擦を生み出しているとしても、その走りを止めることはできない。先に撤退した方が死ぬ。だから、ライバルがたくさんいる中で、だれよりも早く、多くの金とシェアを稼がないといけない。そうしないと、会社として終わってしまう。だから全力で走りきる必要がある。

こんな仕組みを頑張って維持することに、実際問題何の価値があるのだろう。今、この会社が事業から撤退したとして、本質的に困る方は少ない。むしろ、生み出している摩擦の方が多いのでは、と思うくらいに。
若輩者ではあるけど、やはり僕は、ある事業の意義として、それが「会社の成長・存続のため」だけでなく、「社会にとってどう必要なのか」という理由がほしい。

ましてや、人手不足と言われるこのご時世、もう少し、ためになるような仕組みを広げることができるのではないか。だから、辞める決断をした。顧客や業界に迷惑をかけながらも、存続、成長を志向したくない。

ゆるやかでもいいから、社会の役にどこかで立っているような仕事を探そうと。

僕は、A社の人らみたいに、会社をデッカクするとか、自己を成長させるとか、数字を達成するとか、そういうことを面白がれない人間だ。
「会社をデッカクした先に、何があるの?誰がどうハッピーになるの?経営陣?」
「もちろん、成長自体は楽しい行為だと思うけど、そんな環境で成長を遂げる意味ある?将棋をやりたい人が、トライアスロンのスキルが身につくっみたいな感じなんだけど」
という思考をする。

あと、人が良い、というのにも耐えられない。

皆、僕に結構声をかけてくれて。人間的に嫌な感じ、という方々はほとんどいない。

もっと頑張ることを応援してくれるし、ゆくゆくは会社を担う若手人材...と期待されるのが辛かった。
これまでは、わりと組織のため、誰かのため、っていうモチベーションで生きてきた人間だが、
「この組織の成長事態に貢献したい」とは思えなかった。

一方で、向こうはそれを期待してくれているから

長い間、相手の気持ちを裏切り続けられない。

であれば、機会があれば転職することは間違いないことだったので、

長い間、居続けるよりも、早く身を引いたほうが、僕にとっても会社にとってもいいのではないか。

会社空間に少しでもいれば、僕個人へのコミュニケーション、教育コストがかかる。

会社に貢献しようと思わない人間になってしまったら、もう、身をひくほかない。

僕は基本的に、自分の所属している組織の発展を思って、行動するタイプの人間だった。クラス委員とか、応援団とか、部長みたいな立場は、「この中では、僕がやったときに一番ハッピーになるだろうから」といった動機で動いた。

特段、まとめ役やリーダー的なポジションが好きなわけではなかった。その所属している組織のためになることが、いつも僕のエンジンを点火させてきた。

ただ、勤めていた会社では、会社のために頑張ろうとは、とても思えない。
色んな部署や事業部によって、もちろん見える景色は違うだろう。しかし、やはりお客様の満足度よりも、お金や売り上げが優先的になっていくのは見えていた。
そんな事業で、プレッシャーが営業マンに課せられ、みんなあくせく奮闘していた。

なんのために?

会社としては、そこで得たお金で、会社のビジョン・理念を実現する、と言っていた。確かに、その通りに違いない。やがては本当にそうするのだろう。世の中のビジネスは綺麗ごとだけではやっていけない。きちんと、お客様によろこんでもらえるような瞬間はどこかにある。

ただ、将来的に会社がやりたいことをやる、という手前勝手な理由のために、
今のお客様や業界に迷惑をおかけする論理には納得できない。

だから、辞めた。

人が良くても、事業やビジネスのロジックが肌にあうかどうかは、わからない。

社会人になり、見ているアニメ達をどう棚卸ししていいかわからない

今月からクラナドを見始めたけど、感想や気持ちをどこに吐き出せばいいのか

今、アニメはホントに身近な娯楽になった。

各種ストリーミングサービスが発達し、いつでもどこでも、好きなアニメが見られるようになった。

もともと、高校生時代から、毎朝とりだめたアニメを一本見ながら朝食を採るのが僕の習慣だったけど

よりいろんな豊富なタイミングでアニメが見られるようになった。

スマートフォンで移動中に見ることができるし、

何かの休憩と思って、ベッドに寝ころびながら見ることもできてしまう。

しかも、ストリーミングサービスは、「あともう一話」を見させるための仕掛けが良くできているせいで

テレビよりも、見ている時間が長くなりがちだ。きゃつらストリーミングサービス会社は、一分一秒でも長く、自分たちのサービスに時間を使わせようとする...

そんな中で、日本人にとって、「アニメを視聴する」ということがこれほど手軽に、何度もできることはない、という時代に来てしまった。

そこで僕は今「見たアニメ達について棚卸ししきれない、その方法がわからない」という問題に直面している。

昔、学校に通っているときまでは良かった。大学生までは、夕方アニメの話題を交わすことで、お互いにその感想や意見を発散できるから。

「昨日の結界師見た??」「アイシールドのヒル魔さぁ..」といった具合に。学校みたいなゆるやかな関係だと、アニメを見ているもの同士って自然と惹かれあうというか。そうやってお互いの感想や意見を交換し合うのって楽しいよね。

ただ、上京して社会人になってからは、職場の連中とそんな会話はない。僕の務めている人材企業は、人材サービスという性質上、仕事上生き急いでいる人が多い。体育会系の方もわりと多いし、あんまりそういう話題にならない。というか、趣味の探り合いの話とかしない。しても、ものすごく浅い範囲で終わってしまう。

あぁ、どんなに楽だろう、「この会社の中にCLANNADを見たことがある方はいますか?今、僕CLANNADを見始めたところなんです。CLANNADと人生について語りませんか」なんて言えたら。

勤務時間中、互いの趣味の話をする余裕などない。学生という身分であれば、勉強の合間にそういう話はいくらでもできたから。
つまり、社会人になって、「所属コミュニティにアニメについて話せる人がいる」がという状態ではなくなってしまったんだよね。

だから、棚卸しに困ってしまった。働き始めても、アニメの見る量自体はそんなに減ってないが、実際口にして語る時間が明らかに減っているので、なんだか、気持ちが悪くなってきたんだ。

棚卸し、とはどういうことか


まず前提として、アニメの価値は、視聴している状態がまずそれだけ幸福、ということはあるんだけど。
ただ、それだけだとどうしてもファストフード的、というか。せっかく人が思いを込めてつくったものを、あんまり、自分への変化や蓄積のないインプットにしてしまうのは、なんだか寂しくて。

そのアニメを見て思ったことや、感じたことについて語りたいと思うんだよね。
そういうことをしないと、ホントに、ただアニメの目的は「23分間アニメーションを視聴する暇つぶし」というようなものになってしまう気がして。

それは嫌なんだよな。たくさんのアニメが作られる時代にはなったけども、
必ず、多くの人がかかわって、作った作品であって。

アニメをただ、見ることだけれすればいって思って、言葉にすることをおろそかにするのは、とても寂しいと思うから。
見て思ったことや感想を、口にだすことで、初めて作り手の人たちとつながれれる。

「あの子がかわいい!」とか「あのシーンはしびれたよな!」といって言葉にすることで、「かわいいものってなんだ」「しびれるくらいってかっこいいってなんだ」ってことへの理解が深まる。

アニメを見て起きた、自分への感情の機微をきちんと捉え、表現していくうちに
少しずつ、自分という人間への理解、社会への理解が深まっていくと思うんだ。

ただ、意識的にそれを行っていかないと、ホントにアニメをただの暇つぶしにしてしまうのかな、と。

どんな棚卸しの方法があるのか

考えられるアニメの棚卸し方法としては、以下のようなものがあるだろう。

①実況に参加する
②ブログで視聴感想記録をのこす
③アニメレビューサイトに記録を残していく
④友人と語る
Twitterで感想をつぶやく


①の実況に参加する
これは、時間が厳しいものがある。僕はどうしても習慣上、「ながら視聴」でなければきちんと見る時間を捻出しづらい。ほんとに純粋にアニメを見ることしかしていない時間、というのはあまり作っていない。

②ブログで視聴感想記録をのこすというのは憧れの手法だ。アニメという、ビジュアル重視のコンテンツを、言葉で再表現する、かつ周りに伝わるように表現できる、というのはすごいことだ。具体的に感想を残すとすれば、一話ごと、というのはそんなに現実的じゃないので、クールごと、視聴ごと、というようになるだろうか。

具体的には、下記のブログのようなイメージだ。

honeshabri.hatenablog.com


僕の中の、アニメ感想記事トップランナー骨しゃぶりさん。この人のように、自分のバックグラウンドと紐づけて面白く知的に評論ができたらどんなに楽しいだろう。

こんな質と量を兼ね備えた文章、とてもじゃないが、習慣的に行う「自分のアニメの棚卸し手法」として行うのは難しいかな、と思っていた。

ただ、骨しゃぶりさん、記事執筆に時間が充てられるのはほとんど土日ぐらいらしい。それでこれだけのブログを運営されているとは..。

それなら、僕にも、努力していけばできるかも。

③アニメレビューサイトに記録を残していく

アニメの感想登録サイトに、記録を残していく、これも一つのよい手法だろう。
ただ、今のところ、使いたくなるアニメレビューサイトがないんだよな。

レビューサイトであれば、あにこれが一番みやすいかなぁ。
www.anikore.jp

あにこれのランキング機能は、見たいアニメを決めるに有用な機能だ。
あと、本棚も結構いい。
「これまでどんな作品を見てきたんだっけ?」と振り返るときに、かなり便利な機能だ。視覚的に一瞬で振り替えられるからね。

ただ、レビューサイトは、どうしてもその個人への信頼蓄積がない、というのが寂しい点。どれだけしっかりとしたレビューを書いても、その名声は、そのサイトでしかほとんど通じないという欠点がある。
その観点では、ブログ執筆の方が、蓄積もあって、いいのかな、モチベが保てそうな気がする、とも思ったり。


④友人と語る

これが一番手軽かつ、結構なアウトプットになる手法。ぜひそんな友人が身近にいたらいいのだが...今のところいないので、実践が難しい状況。

Twitterでつぶやく

ブログ執筆ほどではないが、思ったことについて述べるには充分だろう。スマホからの投稿もしやすいし。どういったフォーマットでするかは決めていない。ほんとに、純粋に、つぶやきたいな、と思った時に呟くのが大事。」


「どうやってこの作品を自分の中に棚卸しするか」という問いをもって作品を視聴するべし


結論として、どんな手法で棚卸しするか、決まったわけではない。
ただ、この問いを抱えながら、アニメを見ていくことで、思考が進んでいくと思う。

「はじめて考えるときのように」という本には、エッセイタッチで、考えるとは、つまるところどんな行為なのか、いろいろ記載されているのだけど。



この本によれば、つまるところ、考えるということは、問いを抱え続ける、ということだ。同じ話を聞いても、自分の中に、どんなことに答えを出したいかが、違っていれば、感が方、答えの出し方は変わってくるのだ。

ひとまず、「どうやってアニメを見た感想を共有しようか」というゆるい問を持ち続けながら、今後もアニメ視聴を行っていきたい。

「どうしようかな」という意識さえ持ち続ければ、あとは時間によって

自分に合った棚卸し手法が定まっていくのではないだろうか