一日一つ、変わってく

上京して働く読書好きのITエンジニア24歳が日々を豊かにするために考察

今が無茶苦茶に惜しいと思える幸せ「だらだらすること」

久しぶりに、だらだらした。体も元気なはずなのに、ダラダラした。

昨夜も、24時ぐらいにベッドに入ったのに、アマゾンプライムで「アイ アム ア ヒーロー」をみた。なぜかサメの生態ドキュメントも見た。寝たのは27時ぐらい

で、朝起きて、10時ぐらいに仕事の電話を済ませてから、そっからもすーぱーだらだらよ。

体は元気なのに、ずっと動画サイトにかじりつき。ゴブリンスレイヤーにニンジャスレイヤーの声を当てたっていう、ぜったい面白いコンセプトの動画見ると、このゴブリンスレイヤーってアニメ見たこと無いのに、やっぱり面白い。

で、ゴブリンスレイヤーってアニメが気になった。そっから、放送されてる6話まで全部見て。あ、からくりサーカスの最新話も見たっけ。

朝飯も、自分では作っていない。実家に住んでいるから、母上に作っていただいている。

いつまで、こんなことが、続けられるのだろう。と思ってしまうような、平日における、超背徳的な、堕落的な時間の使い方。THE実家の大学生。ニート

もちろん、自分のせっかちで、意識高い志向性を踏まえると、こんな生活が、一年も続くってきいたら、そりゃ嫌なもんなんだろう。

実はここ4日間も、11月12日(月)にミャンマーから帰ってきてばかり、ダラダラしてたんだけど。だから、今日の朝起きてから、15:30くらいまでのダラダラは、そのその延長線上に無いとも言えないんだけど。

まぁ、その実の時間は、大学でのプレゼン作成と発表控えてたり、インタビューが控えてたり、風邪をひいてたりして、そんなにリラックスできていなかったのかもしれない。行動的にはダラダラしているんだけど、脳天にタスクがよぎっているから、真にリラックスできていないのだろう。

今日はだらだらしちまったが、なんとなく、その時間の使い方に後悔が無いレベルで、QOL高かったんだよな。

多分、以下のような要素が影響してる。

「脳を占拠するような締切タスクが無い」×「体が健康」×「平日で他の大人たちは仕事に出ている」×「朝飯を自分で作らずに作って頂いている」×「逃避的にではなく意図的にダラ」×「ダラダラするために使ったコンテンツが面白かった」=最高級のダラダラ

と推察する。
まじで、働きたくねーと思ったし、学生っていう身分ありがてぇと思ったし、今の時間が、相対的に、未来の、立派な社会人生活よりも、幸せなんだろうと思えた。

それって、よく考えると、すごくいい時間の使い方じゃぁないか。今まで、そういう、動画ばっかり見たりする時間の使い方、結構後悔してたけどさ。

未来の生活が悔やむほど、今の生活がいいと思える。そんなふうに思えることって、そんなに無い。修学旅行とか、子どもん時友達の家に泊まりに行った時ぐらいだろう。

そのレベルでの、今の時間の惜しさを実感できたことが、やっぱり、仕事をしているときとか、本を読んでいる時とかではなく、結局、「だらだらしている」っていうのがさ、いい感じに気持ち悪く、自分の浅ましさが見えて、いいんだよな。自分の中の数ある出来事の中で、結局、トップレベルに気持ちいいことが「だらだら」であるっていう。

とすると、普段の生活と、だらだらの生活の、目的が入れ替わるんだよな。いっちばん高い効用を刻むのが「だらだら」である以上、むしろ、こっちの方に、軸をおいて、普段の生活を考えてもいいんじゃないか。
つまり、普段の仕事は、だらだらの喜びを、あげるためにこそ、やっているんじゃないかってこと。

どんだけだらだらが好きなひとだって、毎日やってたら、嫌気がさしてくる。限界効用逓減の法則。

だからこそ、生活の中における、儚いダラダラを、その輝きをより作るために、働いているのかもしれぬ。普段、まじめくさって、真剣に学んで、考えて、働いているときこそ、だらだらが、輝く。

たまにジャンク的な時間の使い方をするのも悪くない

結局のところ、ゲーム実況が好きで、アニメが好きで、だらだらするのが好き。

自分という人間の、一貫性のなさにはびっくりする。人間、そのときの気分で志向性変わりまくり。